幸せ?

20歳の頃、

生きてきた自分の人生を振り返り、

「私は幸せで平坦な人生を生きてきた」と思ったことがある。

 

あれは、「思った」のではなく、

「思い込みたかった」のだと、今となってはわかる。

 

幸せな家族、たくさんの友達、勉強もそこそこできて、クラブに打ち込んで、

何の問題もない、平和な人生。

 

 

 

誰から見ても、きっと、なにも遜色のない私の人生。

 

あー、幸せ。

これが幸せというものなんだろうな。

 

 

 

どこか、もやもやする気持ちには全く気づかなかった。

気づかないふりをした?

というより、そもそもその頃の自分には「気持ち」なんて存在していなかったと思う。

気持ちや感情を押し殺して、なんとか生きてきた。

私の人生はそんなもんだった。

 

 

黒い大蛇が腹の底に眠っていることに気づくのが幸せか、

それとも、そんなものが存在することすら気づかないことが幸せなのか。

 

ほんとは、

黒い大蛇を創り上げないことが一番幸せだったんだろうけど、

自分がサバイブするためには、ああするしかなかったのかもしれないと、

今でも思う。

 

 非常にもったない生き方をしてきてしまった。

 

 

 

 

 

 

口から出てどこに行くのか

 

大蛇は当然、私の身体の中に納まるようなものではなく、

その時、私は仕事帰りのバスの中だったのだが、

そいつは、私の状況などお構いなく、

猛烈な吐き気とともに私の口の中から、出てきた。

 

出て行って、それで終わりだったらいいのだが、

そんなわけにもいかない。

 

出てきて、ぬめぬめと私の周りに巻き付いているような感覚。

この大蛇は、37年間、私の中に眠っていた。

いや、私がぶつ切りにして捨ててきたもの。

「なかった」ことにしてきたもの。

 

37年間の私の、怒り、悲しみ、孤独・・・

そんなマイナスの感情のすべてだ。

 

母に対する怒り、姉に対する怒り、父に対する怒り。

ずっと孤独だった。

ずっとしんどかった。

ずっと一人だった。

 

 

 

 

真っ黒な大蛇

 

真っ黒の塊が、身体の奥底に無数に落ちている。

それが、ものすごい勢いでくっつき、膨らんでいく。

 

くっついて大きくなったら身体の中に納まらない!

どうすんのっ!?

 

 


それでも黒い塊は容赦なくくっついていく。

どんどんどんどんくっついて、

黒い塊は、私の身体の中で、真っ黒な大蛇になった。

 

トカゲと緑色の蛇

幸せな人生を送ってきたと思っていた。

でも、父の介護をしている母を見ていると、なんだか気分が悪くなりそうになる。

なんだろう・・・。

なんとも言えない感覚。

 

直視したいけど、したくない。

してはいけないような感覚。

 

それは、9年前の5月か6月。

ちょうど仕事が一年間くらい忙しく、そっちのことでも体調が悪くなりそうなタイミングだっただけに、自分が壊れそうな感覚に襲われることが多々あった。

父のガン宣告をきっかけに、直視したくないことから目を背けることができなくなり、パンドラの箱が開くことになる。

 

 

『春にして君を離れ』で、

主人公ジェーンが真の問題に気づきそうなとき、

トカゲが顔を出したり、緑色の蛇がにょろにょろと出てくる描写がある。

 

ああ、私だけではなかったんだな、あの感覚。


9年経って、そのことを知る。

 

 

 

 

 

妄想の世界に生きていた

 

9年前まで、私はジェーンと同じように妄想の世界に生きていたらしい。

「らしい」というのは、それまでの人生は、自分の人生とは思えないからだ。

気づいたのは、父の闘病生活がきっかけだ。

 

よくドラマなどで、記憶喪失になった人が思い出したくないことを思い出しそうになる瞬間、頭を抱えて、うーっとうなるシーンがあるが、

あれって、本当なんだと実体験で知った。

 

 

 

 

『春にして君を・・・』

先日、アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』を読んだ。

主人公は、良き妻、良き母親である一人の女性。

 

末娘を見舞うためにバグダッドへ行くが、その帰りに大雨で足止めをくらう。

滞りなく周囲の人間が過ごせるように、常に忙しく、日々生きてきたその女性だったが、ぽっかりと、何もすることがない数日を過ごすはめに。

慌ただしく生きてきた彼女が、初めて、自分の「真の問題」に気づきそうになる・・・。

 

現実を、自分の受け取りたいように、捻じ曲げて解釈し、ある意味、妄想の世界に生きてきた主人公。

これって、まるで私の人生だ。

 

私の年表

○幼少期

言葉で主張しても負けるので、泣くことで自分を主張。

しかし、「泣きやめ!」と言われ、泣くこともやめた。

「泣くこともやめよう」と心に誓ったことを覚えている。

 

○小学校低学年

諦念。ひらきなおり。母に負担をかけないことで、自分の地位を得る策に出る。

言葉での主張は全くといっていいほど試みず。

 

○小学校高学年

自分の考えや感情を抑え込み、まわりがうまくいくようにふるまうことで自分の存在を確認する。

 

○中学校

すっかり自分の考えや感情にふたをし、能面のような人間になる。

そんな自分が死ぬほど嫌い。

一方で「いい人ばかりに囲まれて私は幸せ者」と思い込むようになった。

 

○高校

満たされない心を持っていることから目を背け、日々をこなす。

 

○大学

初めて私の言葉に本当の意味で「耳を傾けてくれる」人に出会う。

これが夫だ。

 

○結婚

とても楽しく万事うまくいくと思いきや、出産と育児で私のパンドラの箱がガタガタと揺れ始める。

 

○長男小2(私32歳)

学童や学校のストレスで感情をむき出しにする長男と接することが怖くなる。

仕事からの帰り道、毎回不整脈が出るようになる。

長男が「死にたい」「ここから飛び降りる」などと口にするようになり、私のブレーカーは落ちた(鬱になった)。

しかし、パンドラの箱はまだ開かない。

ここで開いていたら、私は崩壊していたのだろうと思う。

 

○~34歳

鬱と不安障害に苛まれ、ホラー映画の中で過ごしているような感覚。

この真っ暗なトンネルから二度と抜け出せないだろう、と思った。

 

○~38歳

薬をたくさん飲みながらもなんとかギリギリ日常生活を送る。

 

○父の闘病、そして他界

鬱&不安障害と6年つきあい、向き合える素地ができたと身体が判断したのか、パンドラの蓋がとうとう開く。

会社からの帰り道、バスの中でぶつぎりにして、美化してきた過去がつながり、真っ黒の大蛇となって、自分の口から出てくる感覚に襲われる。

「私って苦しかったんだ。ずっと自分を押し殺して生きてきたんだ」と初めて気づく。同時に、そう生きるしかないようになった背景をうらむようになる。

 

○現在(46歳)

過去、幸せなこともあったはず。

でも、鬱と不安障害、そして歯ぎしりなどからくる身体のひどい歪みと向き合うたび、どうしても許せない気持ちが沸き上がる。

私は、子ども時代、なぜ我慢し続けなければ生きていけなかったのだろう。