私の年表

○幼少期

言葉で主張しても負けるので、泣くことで自分を主張。

しかし、「泣きやめ!」と言われ、泣くこともやめた。

「泣くこともやめよう」と心に誓ったことを覚えている。

 

○小学校低学年

諦念。ひらきなおり。母に負担をかけないことで、自分の地位を得る策に出る。

言葉での主張は全くといっていいほど試みず。

 

○小学校高学年

自分の考えや感情を抑え込み、まわりがうまくいくようにふるまうことで自分の存在を確認する。

 

○中学校

すっかり自分の考えや感情にふたをし、能面のような人間になる。

そんな自分が死ぬほど嫌い。

一方で「いい人ばかりに囲まれて私は幸せ者」と思い込むようになった。

 

○高校

満たされない心を持っていることから目を背け、日々をこなす。

 

○大学

初めて私の言葉に本当の意味で「耳を傾けてくれる」人に出会う。

これが夫だ。

 

○結婚

とても楽しく万事うまくいくと思いきや、出産と育児で私のパンドラの箱がガタガタと揺れ始める。

 

○長男小2(私32歳)

学童や学校のストレスで感情をむき出しにする長男と接することが怖くなる。

仕事からの帰り道、毎回不整脈が出るようになる。

長男が「死にたい」「ここから飛び降りる」などと口にするようになり、私のブレーカーは落ちた(鬱になった)。

しかし、パンドラの箱はまだ開かない。

ここで開いていたら、私は崩壊していたのだろうと思う。

 

○~34歳

鬱と不安障害に苛まれ、ホラー映画の中で過ごしているような感覚。

この真っ暗なトンネルから二度と抜け出せないだろう、と思った。

 

○~38歳

薬をたくさん飲みながらもなんとかギリギリ日常生活を送る。

 

○父の闘病、そして他界

鬱&不安障害と6年つきあい、向き合える素地ができたと身体が判断したのか、パンドラの蓋がとうとう開く。

会社からの帰り道、バスの中でぶつぎりにして、美化してきた過去がつながり、真っ黒の大蛇となって、自分の口から出てくる感覚に襲われる。

「私って苦しかったんだ。ずっと自分を押し殺して生きてきたんだ」と初めて気づく。同時に、そう生きるしかないようになった背景をうらむようになる。

 

○現在(46歳)

過去、幸せなこともあったはず。

でも、鬱と不安障害、そして歯ぎしりなどからくる身体のひどい歪みと向き合うたび、どうしても許せない気持ちが沸き上がる。

私は、子ども時代、なぜ我慢し続けなければ生きていけなかったのだろう。