私の人生の中心は母だった
自分の思いや考えを主張・表現できる環境になく、生きづらさを抱えていた私が選んだのは、母をサポートすることで自分の「居場所」を得る事。
母の「痒い所に手が届く」ようなサポートを、それこそ、必死にやっていたようだ。
「ようだ」というのも、感覚や感情が欠落して生きてきた私にとって、それらは他人事だったから。
当時は他人事のような感覚だったのに、今では、自分事として、いつまでもいつまでも私を苦しめ続ける。
9年前、過去の生きづらさに気づいた同時に、私の人生の真ん中には母がいたという事実にも気づいてしまった。
私の人生の主役は、私であるはずなのに。
愕然とした。
だからしんどかったのか、と。