2022.10.28

うつ病&不安障害になって15年4ヶ月、父の闘病をきっかけに、子どものとき自分がしんどかったということに初めて気づいてから10年6ヶ月が経ちました。

恨み辛みを、全て、「ない」ことにしていることに気づかず生きてきて、父の闘病時に突然蓋が開きました。

それはそれはおぞましい真っ黒な大蛇が自分の中から現れたような感覚。

それまでは、「私は恵まれて幸せだ」という自分が作り出した妄想の世界に生きていました。

 


別に、幸せに生きようと思えば生きられたであろう環境だったのに、もったいない生き方をしてきたな、と今はようやく思えるようにもなってきました。

たぶんお母さんもRちゃんも、私を苦しめたかったわけではないんだろうな、とも思えるようになってきました。

 


ただ単に、私が言葉で表現することが達者ではなく、母とRちゃんが達者だったということ。

それだけのことだったのかもしれない。

 


とはいえ、自分の思いを伝えられない環境というのは、自分を大切にされていないという認識になってしまうのです。

 


最近、犯罪を犯した人たちから、「孤独だった」とか、「家族も友達もいなかった」とか、そんな寂しいコメントを耳にすることが多いですが、一歩間違っていれば、私もそっち側に行っていたかもしれないとも思えるほど、私もまた孤独を感じていた人間です。

 


とてもとても残念なことです。

46歳・今の時点で、これまでのことを振り返ると・・・

46歳。

今の時点で、これまでのことを、どうすればよかったのだろうと振り返る。

 

 

幼少期に泣くことすらやめてしまったことは大きな分岐点だった。

その後も小学校低学年のころは私なりに助けを求めていたように思うが、伝わらず。

(辛すぎて、泣きながら母に「○にたい」と言ったような記憶もあるが、たった一度ではそりゃ伝わらないだろうと今の私でも思う)

 

数年前、気づいた過去の苦しみに飲まれながらも、何とか、これまでの気持ちをまとめて母に伝えたけれど、その内容は間違っていた。

「子どもの頃、もっとかまってほしかった」と言ってしまったけど、そうではない。

「かまってほしかった」んじゃない。

ただただ、私の未熟な言葉の羅列に耳を傾け、その向こうに見え隠れする私の困っている心に目を向けてほしかった。

アドバイスや同情、相槌すらもそれほど重要ではなかったんだ、と。

つまり、この子は何を考え、何を感じているんだろう、と、黙って聞いてくれさえすればよかったんだよ、と。

 

とはいえ、私も子ども。

母も親となって数年。

どちらも未熟なもの同士、どうしようもなかったと思える。

 

子育てというものは誰もが失敗するんだろう。

私が苦しかったのもしかたない。

でも、だからと言って、許せるかと言えば、そんなに簡単なことでもなく。

 

過去の苦しかった事実に気づかなければ、今も普通に実家のみんなと接することができていたと思うと、気づかなかったほうが良かったのだろうかと考える。

とはいえ、これまでの自分の変遷を知ることで、初めて私は「私」という人間になれた。

過去の自分が、ようやく今の自分と重なったような感覚。

そして、そうなったことで、初めて心と脳が動き始めている。

 

本を読んでも文章が頭に入ってきやすくなった。

映画を観てても心が揺れ動き面白く感じる。

家族と話していて、おもしろいと腹の底から笑いがこみ上げてくる感覚。

以前の私は、「ここは笑うべきところだから笑う」といった感じで笑っていたんだと、今はわかるほど。

 

そう思うと、過去に気づくことで、実家のみんなと以前のように接することはできなくなり、過去の苦しみはのりのようにべったりと心に貼り付いているものの、自分という人間がちゃんと「機能」しているという健全な感覚を取り戻すことができたということだ。

 

息はしてても、心はしんでいた。

そんな過去より、今のほうがずっとずっとずっと幸せには思える。

 

 

 

 

 

憎悪

 ここまでの9年、ものすごい葛藤があった。

自分の中の憎悪に向き合う期間だった。

 

この人たちのせいで私の人生はボロボロになったという憎しみと、

今からでもいいから、

(蓋をしていた嘘の私ではなく)本当の私という人間を理解し、尊重してほしい、と切望する気持ち。

 

過去の苦しかったことを思い出して、悲しくなり、

うつも出てくるし、会いたくもないし、話もしたくないが、

そんな私の気持ちを推察しつつ、本当の私を理解する努力はしろ、と無理難題を押し付けたくなる。

 

相手を苦しめたいわけではない。

でも、はらわた煮えくりかえりそうな気持ちを昇華することができない。

 

頭では、

・その時代なりの、十分な愛を与えてくれていた

・ただ、齟齬があり、ボタンを掛け違えたままここまで来てしまった

ということはわかっている。

 

しかし!

私はもう努力しないが、お前らは努力しろ、そんな気持ち。

 

 

 

自分が破壊されそうになる。

 

苦しかった子ども時代に気づくと同時に、愛憎によって身体が破壊されそうになるなんて、なんの罰か?

 

子ども時代だけですでに、罰みたいなものだったし、

すでにうつにもなり、5年経っていた。

(今ではもう、うつ歴14年だ・・・)

 

 

 

 

苦しみを直視しなければならない苦しみ

今朝は、久しぶりに、過去の苦しかった気持ちが押し寄せてきて涙が流れた。

 

他者(当時の家族も含めて)から見ると、とても幸せな人生を歩んできたかのように思われるが、やはり「私にとって苦しかった」ということは事実である。

認めてほしい(理解してほしい)人(当時の家族)たちを傷つけたくないという思いが働くからこそ、「苦しくなんてなかった」と事実を捻じ曲げてきた。

 

でも、実際は、とっても苦しかった。

しんどかった。

少なくとも私にとっては幸せではなかった。

 

理解してほしい人たちに、理解してもらうことは難しいとしても、

私自身は、私の中から出てきた黒い大蛇を直視するしかない。

 

 

 

 

私の人生の中心は母だった

自分の思いや考えを主張・表現できる環境になく、生きづらさを抱えていた私が選んだのは、母をサポートすることで自分の「居場所」を得る事。

 

母の「痒い所に手が届く」ようなサポートを、それこそ、必死にやっていたようだ。

「ようだ」というのも、感覚や感情が欠落して生きてきた私にとって、それらは他人事だったから。

 

当時は他人事のような感覚だったのに、今では、自分事として、いつまでもいつまでも私を苦しめ続ける。

 

9年前、過去の生きづらさに気づいた同時に、私の人生の真ん中には母がいたという事実にも気づいてしまった。

 

私の人生の主役は、私であるはずなのに。

 

愕然とした。

からしんどかったのか、と。

 

 

 

 

自分だけど自分ではない

黒い大蛇が身体の中から出てきて、

(つまり、子ども時代が苦しかったんだという事実に気づいて)

早9年経つが、

長い長い期間、自分の中に封印して、その当時に気づかなかった苦しみというものは、それほどまでにねばねばとまとわりつくということなんだろう。

 

封印することで自己防衛して生きてきた。

それこそが「自分」だった。

でも、それはほんとの「自分」ではなかった?

 いったいあれは誰だったのだろう?

 

「自分」なのに、「自分」ではない生き物を生きてきたような感覚。

 

 

 

 

私が一番望んでいたこと

おとなしい子どもだった。

きっと頭の回転も遅く、口も回らない子どもだったと思う。

ただ、それなりに自分の表現方法があったはず。

 

だけど、残念ながら、

私なりの表現方法で人に伝えることができなかったようだ。

 

口の達者な人に囲まれて、私の気持ちは勝手に代弁されていく。

私の気持ちはいつの間にか、周りの人たちが決めるものとなった。

 

 

 

伝えたかった。

聞いてほしかった。

 

かまってほしかったのではなく、ただ、つたない私の言葉に、じっくりと耳を傾ける人が一人でもいてくれたら、私の人生は全く違ったものになったかもしれない。