憎悪
ここまでの9年、ものすごい葛藤があった。
自分の中の憎悪に向き合う期間だった。
この人たちのせいで私の人生はボロボロになったという憎しみと、
今からでもいいから、
(蓋をしていた嘘の私ではなく)本当の私という人間を理解し、尊重してほしい、と切望する気持ち。
過去の苦しかったことを思い出して、悲しくなり、
うつも出てくるし、会いたくもないし、話もしたくないが、
そんな私の気持ちを推察しつつ、本当の私を理解する努力はしろ、と無理難題を押し付けたくなる。
相手を苦しめたいわけではない。
でも、はらわた煮えくりかえりそうな気持ちを昇華することができない。
頭では、
・その時代なりの、十分な愛を与えてくれていた
・ただ、齟齬があり、ボタンを掛け違えたままここまで来てしまった
ということはわかっている。
しかし!
私はもう努力しないが、お前らは努力しろ、そんな気持ち。
自分が破壊されそうになる。
苦しかった子ども時代に気づくと同時に、愛憎によって身体が破壊されそうになるなんて、なんの罰か?
子ども時代だけですでに、罰みたいなものだったし、
すでにうつにもなり、5年経っていた。
(今ではもう、うつ歴14年だ・・・)